東京の穴場 2
一九一〇年第四回文展に出品された「墓守」は、谷中天王寺の東屋という墓守の翁の風采、容貌に憧れた朝倉文夫が、モデルにして願いを果たしたという作品である。
日本人離れのした風貌の翁の銅像である。
この墓守も堂々とした銅像だが、五メートルもある銅像は、いったいどんなふうにして制作するのだろう。
その仕掛けは床下にある。床板を一枚めくってみると、地下七・三メートルに電動の制作台が置かれていて、スイッチ一つで台が上下し、自由自在に制作できる。
台のほうが動いてくれるというわけである。
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一九一〇年第四回文展に出品された「墓守」は、谷中天王寺の東屋という墓守の翁の風采、容貌に憧れた朝倉文夫が、モデルにして願いを果たしたという作品である。
日本人離れのした風貌の翁の銅像である。
この墓守も堂々とした銅像だが、五メートルもある銅像は、いったいどんなふうにして制作するのだろう。
その仕掛けは床下にある。床板を一枚めくってみると、地下七・三メートルに電動の制作台が置かれていて、スイッチ一つで台が上下し、自由自在に制作できる。
台のほうが動いてくれるというわけである。
「五典の水庭」と呼ばれる、自然の湧水を利用して造られた日本庭園には、儒教の五常、仁義礼知信が五個の巨大な石で表現され、周囲には四季折々、白い花が咲く木が植えられている。
この水庭をとりまく形で部屋が造られ、ことに三階にある朝陽の間は、伊豆天城山の地中から掘り起された神代杉を使って張った天井、松の一枚板の床板、瑪瑙の壁など、貴重な建築用材を使って朝倉文夫の美意識や感性が生かされている。
朝倉彫塑館は、朝倉文夫が六年の歳月をかけ、一九三四年に完成したものだが、展示された彫刻を朝倉文夫の感性と美意識を発揮した館見、建物の内部を歩いていると、建物から醸し出される情感のようなものを感じる。
それは朝倉文夫が建物の隅々にまで気を使い、目を届かせているせいだろうか。
それが訪れる人を包むのかもしれない。
彫塑館は、一九六八年に遺族や、財団法人朝倉彫塑館から台東区に寄贈され、区立の美術館として再開館した。