東京のデートスポット
~東京都品川区上大崎~
久米桂一郎がフランスに留学したのは一八八六年で、すでに黒田清輝は二年前からパリに留学中であった。
二人は共にパリでラファエル・コランに学んだ。
同じ下宿に居住して互いに励ましあって研究と制作をつづけた。
一八九三年帰国してからは、コラン流の色調の明るい外光派を日本の画壇に伝え、洋画界に近代への道をひらいた。
帰国後も二人はつねに行動を共にし、天真道場という洋画の指導所を興し、白馬会を創立した。
二人が帰国して二年後に京都で開かれた内国勧業博覧会に黒田が出品した「朝妝」(戦争で焼失)は、大衆の前に日本で初めて展示された裸体画であった。
展示の賛否両論が新聞紙上を賑わした。
そのとき、久米も「山径晩暉」を出品し二等賞を受けているが、黒田のために裸体画擁護の論「裸体画は美術の基礎」を国民新聞に発表した。
その二年後にも裸体画批判が再燃したが、論考「裸体画につきて」を美術評論に発表して論争した。