「世代」の境界線
「世代」という概念は、機械的に区切れるものではありません。
境界がややあいまいなところに、一つの難点があります。
また同じ世代に属する人であっても、個人差から、まるで別な世代の人のように見える例も少なくないですね。
数年前の流行語である「新人類」なども、若い世代を指す言葉ですが、必ずしも「昭和○○年以後に生まれた者」といった機械的区分では片づかないようだですそ
こで、ある人は「全共闘を知らず、ビートルズも知らずに育った若者」などと体験論的な説明を加え、別な人は「ハングリー感覚と無縁な若者」などと感性論的な説明を加えています。
そういうことなら、同じ年代の若者のなかに、全共闘派の親類がいて、よく知っているとか、家が貧しく、ハングリーに育たざるをえなかったとかの例外があっても、不思議ではないことになります。
現に、大相撲の力士で同じサンパチ組(昭和38年生まれ)でありながら、北尾改め横綱双羽黒は「新人類」ですが、保志改め大関北勝海は「旧人類」だなどという、いささか奇妙な報道がまかり通っています。
キャリアウーマンの世代論でも、基本的な事情は同じです。
なかには「第一世代の典型的な存在」とか、「第二世代の典型的な存在」と見られる女性もいるが、すべてのキャリアウーマンがそのように割り切れるものではありません。
ですから、派遣 千葉などのビジネスの世界への登場のしかたなどで「世代的特性」があることを確認しながらも、一人ひとりのキャリアウーマンについては、各世代の特性が何割ずつか混ざり合っているものと考え、分析的に見ていく必要があるでしょう。