女性に非情な日本的経営 8

日本的経営の中で、採用時点の差が一種の身分制度のように将来の昇進にも大きな影響を及ぼすからこそ、日本社会では他の国以上に大卒女子の就職問題が大きな意味をもっているのです。


組織における能力主義が徹底していれば、採用した後も本人の能力や資質、努力によって昇進などは決定されます。


会社から会社へという移動もひんぱんに行なわれます。


採用する方もされる方も気軽に行なうことができます。


ところが日本では長い期間、組織の中に人材を抱えこんで、その組織にだか適応する人間をつくります。


大卒を採用するということは、長期間のそういう訓練の費用を負担するということにもなりますから、途中でやめる可能性の高い女子を幹部としては採用したがらないのです。


女性に対する根拠のない偏見より、こうした日本的な経営における長期間の人材養成の慣行が、大卒女子の就職を困難にしていると考えられます。


この慣行は、女性の立場からすれば不合理きわまるものですが、コスト計算を厳しく行なう会社にとってはそれなりの合理的な理由となっています。


なので、大卒の女子で日本的企業に入ろうとする人は、自分が途中でやめない、職業継続の条件をもっていることを個別に証明しなければなりません。


それは、口頭で言明するだけでは説得力がないのです。


多くの女子学生が入社時は熱心に職業継続の意志を表明しますが、途中で退職していきました。


その意味からは、資格試験はここでも役に立ちます。


男性にも難しい資格試験を通ったくらいなら、能力だけでなく意欲もあるだろうという証明になるのです。

女性に非情な日本的経営 7

日本の組織においては、学校を卒業してある組織に入り、そこで20年、30年にわたって勤続するのが典型的な組織人だと考えられています。


有能な人間であっても、その組織に"生え抜き"ではない中途採用の人は普通はなかなか中枢まではいけません。


定期的に行なわれる新規学卒者の採用は、その点で重大な意味をもっているのです。


新生児がその家族に迎えいれられるように、新卒者は組織に迎えいれられます。


ここでは、白紙の状態の新入社員が求められます。


決して、すぐ即戦力になるような技術・経験をもった人が求められるのではありません。


さらに新入社員もいくつかのグループにわけられます。


古い日本的組織で一般的にみられるのは、本社(本省)採用と、出先採用の差でしょう。


一流大学卒業者が本社採用される率が大きいとはいえ、必ずしも100%重なるわけではありません。


出先採用の一流大学出より、本社採用の三流大学出身者の方が有利なのです。


それが徹底しているのが公務員の世界で、上級の公務員試験を通って本省採用されれば、出身大学はハンディキャップにはなりません。


性も問題になりません。


強力な試験制度が、その関門を通った少数の女性には有利に働いています。


民間の会社では強力な試験制度がないため、女性は採用時の関門を通り抜けることが難しく、それ以後も女性というハンディキャップがついてまわることと比較するならば、試験制度の女性に対する効用は明らかです。

女性に非情な日本的経営 6

こういうエリートたちは、仕事に時間もエネルギーも集中させられていますから、地域や家族との結びつきは弱くなり、帰属する唯一の集団は職場だけとなってきます。


だから、彼らは辞令一本で日本国中どこへでも、時には地球の裏側に勤務を命ぜられてもそれに従うのです。


見れば見るほど、日本的な経営は人情の機微をつかんで巧妙に組織されています。


これは一朝一タに誰かが思いついてつくったというよりも、山本7平氏が『日本資本主義の精神』などで述べているように、江戸300年の間にじっくり培われ、すでに日本人の血肉となっている倫理にもとづいた組織なのです。


しかし、この日本的組織を女性の立場からみるとどうなるでしょうか。


一転してこれは非情な組織であるといわねばなりません。


日本的な組織の中で市民権を得るには、女性であることはほとんど絶望的だからです。


まず、出生を受容してもらうことが困難です。


はじめから組織の中に入れてもらえないのです。

女性に非情な日本的経営 5

会社が共同体であり、擬似的な家族集団であるというところから、日本的雇用慣行の大半は説明がつくのです。


子供が家族共同体に出生してくるように、人は組織に入社(入省)し、一生そこに属します。


家族の中で兄弟の順が重んじられるように、組織の中で入社年次が重視されます。


白紙の状態の子供を育てるように、長い時間をかけて教育や訓練が行なわれ、能力についても長期的に評価されます。


それはすべて、機能集団の論理というより家族共同体的な論理です。


日本的組織においては、将来の中枢を担うと考えられている人びとほど、全人格的に組織へ帰属することが強く期待されています。


そういうエリートでない人びと、あるいは中途採用といった人びとには、このような忠誠心、帰属感が期待される度合も少なくなっていきます。


その外側の臨時工とか、パートタイマーとかいわれる人びとに対しては、終身雇用とか年功序列とかの
原則すら適用されません。


景気に対する調整弁とされるのも、こういう組織の縁辺にいる人びとです。


日本の組織はこのように3重、4重、5重もの重層構造をなしています。


好・不況による人員の調整はできるだけ外側の部分で行ない、中心に近い部分はあまり変化させません。


たとえ業績の悪い時期でも幹部候補生は一定数採用しようとしますし、業績のよい時期にも将来のポストを考慮してむやみには採用しません。


皇統が連綿として続くように、配慮されているのです。


この核の部分は特に力と時間をかけて養成され、責任感や忠誠心が期待され、それに見合う将来のポストや権限が保証されます。

女性に非情な日本的経営 4

第一次オイルショックを最もうまく乗り切ったのが日本(および西独)でしたが、それはひとえに個々の企業や個人が一丸となって血の出るような合理化を行なったからでしょう。


日本的な経営が行なわれている職場は、日本人の生活の中で非常に大きなウェイトを占めています。


日本人にとって、勤務先の企業や会社は、単に契約に基づいて自分の能力や時間を提供し、引きかえに賃金を得るところではありません。


むしろ、全人格的にそこに属し、社会的な存在証明を得るところです。


個人が会社(組織)との強い一体感を醸成し、情緒的な深い結合をもっている例はいたるところでみられます。


まさに会社は利益をあげることを目的として形成される機能集団であるというより、全人格的に帰属する共同体そのものでしょう。

女性に非情な日本的経営 3

一生この会社に雇われているという前提があるからこそ、会社の運命は自分の運命と感じ、会社が必要とする技術を身につけることに従業員一人ひとりが熱心になります。


生産技術や工程の工夫改良をこらすのです。


技術革新のはげしい現代では、熟練を誇っている技術もどんどん時代後れになり、陳腐化していくのは避けられません。


その時に熱心に新技術の吸収にはげむか、それとも自分のそれまでの技術に執着するかで、その従業員の生産性は左右されます。


日本人が器用で、新しい技術への適応力があるということもあるでしょうが、日本は企業内でこの転換が比較的スムーズに進んでいます。


それに対してイギリスなどは、職能別の組合が強力で、新技術への転換が容易にすすまないのです。


イギリスの機関車がすべて電気機関車に変ったあとも、まだ罐焚き要員が乗り組んでいたという笑い話があります。


機械や技術がスクラップになっていくように、人間が生きたままスクラップになっていくのです。


日本ではこういう状況はまず起りません。


「親方日の丸」といわれる公共企業体や国や地方の公務員などは別として、一般の会社では利益をあげなければ、会社そのものがなりたっていかないことは、労働者、組合といえども承知しています。


こういう共通の基盤があるからこそ、苛酷とさえいえるような合理化や技術革新が日本の企業で可能だったのです。


減量経営で去る人も、「会社のため」に去ると、労使いずれからも感謝されます。

女性に非情な日本的経営 2

同じ組織内においてエリートと大衆が分離し反目するというアメリカや西ヨーロッパの諸国の問題にも、年功序列制は有効に作用しています。


日本の大企業では、どんな一流大学を出た将来を期待される新入社員も、はじめはコピーとりや表作りのような雑用に追い使われます。


その間に非エリートの職種についても経験を積むし、また他の社員との間に連帯感も育てられます。


かの佐藤栄作元首相も、鉄道省に入って切符切りからその職歴をスタートさせています。


これらのメリットは、若い彼らに十分そのもてる能力を発揮する場を与えないというデメリットを償って余りあると考えられています。


同様のことが、終身雇用制についてもいえます。


不要になっても首も切れず、労働者を一生抱えこまねばならないこの制度は、失業者を生まないので社会全体にとってはありがたい慣行ですが、個々の企業にとっては不利なようにみえます。


しかし、この終身雇用制によって、企業への帰属感が強められているのみならず、労働力の質の向上にも極めて役立っているのです。

女性に非情な日本的経営

近頃、脚光を浴びている日本的経営の中で、女性はどのような位置を占めているのでしょうか。


日本的経営終身雇用、年功序列、企業別組合などを基本とする企業や組織の雇用慣行は、勤労意欲を高め、愛社心を養う上で効果絶大であるといわれます。


日本の経済成長が世界中の注目をひくとともに、日本独特のこうした雇用・経営の方法にも高い評価がなされるようになってきました。


たしかにこの日本的経営は、社員の忠誠心を養い、長期的に人材を養成し、その持てる能力をギリギリまで引き出す上で心憎いほど巧妙に組織されています。


少なくともまじめで、今なお他人志向性の強い"日本人"を組織する上では、アメリカ流の短期決戦メリットシステムよりすぐれています。


たとえば年功序列を一つとってみても、これを競争を少なくし、馴れあいを助長する非効率的なシステムとみるのは皮相な見方です。


むしろ多くの年功序列の組織では、長期間にわたって同期と差をつけられまいとして、また、ないとはいえないトップへの可能性をめざして骨身を削っているのが現実の姿です。


同期入社は同じように昇進するとされているだけに、かえってほんの少しの違いが大きな差として意識され、「差をつけられまい」「差をつけよう」としのぎをけずることとなります。


1人の卓抜したエリートを早めに抜擢して経営幹部として十分能力を発揮させるよりも、100人の凡人に長い期間にわたって全力を出させる方が、組織全体として大きな力を出すこととなるのです。

東京のデートスポット 3

館内に入って目に付くのは、一八九五年に描かれた「秋景」と一八八九年にパリで描かれた「裸婦立像」である。
この裸婦像は黒田の「湖畔」と色彩が似ている。
まるで黒田が描いたのではないかと思うほどである。

師のラファエル・コランの作品も「白衣の女」ほか四点を所蔵し、展示している。
久米は三十八歳目黒駅前久米ビルの最上階が美術館で東京高等商業学校(現・一橋大学)の教授を兼任したり、五十代では東京外国語学校や日本大学の講師を嘱託された。

結局、画家としてよりも一級の美術教育学者であった。

東京のデートスポット 2

三十二歳で黒田と共に東京美術学校の教授となる。
美校では「芸用解剖学」と「考古学」を受持った。

まじめで几帳面な彼は講義のための周到な準備に大半の時間を費やした。
彼は画家より教育者の方向に進んだ。だから久米の残した作品は比較的少ない。

久米美術館はJR目黒駅西口前にある。八階建ての久米ビルの最上階である。
静かに落ち着いた雰囲気の館内には、佐賀藩士で東京帝国大学の教授だった父、久米邦武の『米欧回覧実記』や、著書、原稿、写真資料、蔵書なども保管され、展示されている。

これは明治期における海外交流の文化史的な資料として貴重な所蔵品である。